『田園の詩』NO.9 「小学校の運動会」(1993.11.23)

 私が卒業し、今また、息子たちが通っている山の中の小さな小学校も、歴史は
大変古くて、今年で開校120年になります。昔は中学校も同じ所にあり、運動会
などは、合わせて400人くらいの子供たちで、狭いグラウンドはとても賑やかな
ものでした。


     
    山浦小学校  校舎の裏には100段の石段を登ると三嶋神社があります。(08.3.1写)


 中学校は統合されてなくなり、過疎も進み、児童数が全校で39名人と少なく
なった現在、運動会は地区住民総出で行なわれています。そのため、プログラム
の中に老人会演技や婦人会演技などもあります。そんな時は、子供が大人を応
援します。騎馬戦は、父親たちの馬に、上級生の男女すべてが乗って戦います。

 しかし、主役はやはり子供たち。次から次と出番があって休む間もないくらい
忙がしいのですが、大人たちの見守る中、はつらつとした姿を見せてくれます。

 一番大変なのが、運動会を初めて経験する一年生です。マスゲームや組体操も
全員でするので必死にがんばります。上級生は彼らをやさしく導きます。一人ひ
とりの子供の姿が鮮やかに浮かび上がって見えます。

 このように運動会は、大人と子供、上級生と下級生、先生と父母、各地区民同士、
それぞれが認識し合い、お互いが溶け合う場になります。

 初めてこの辺地校に赴任した先生や、都会からやって来た友人は、田舎の小学校
の運動会のすばらしさにひどく感激してくれます。しかし、心の中で一番感激して
いるのは、私たち父母や地区住民なのかもしけません。

 少ない児童数で丸一日のプログラムを賑やかにするために、地区住民の応援を
頼まねばならないということは、考えてみれば、あわれでもあり、かなしみでもあり
ます。それを承知の上で、人々は老いも若きも、子供たちと一緒になってこの日を
楽しむのです。

 あわれとかなしみを心に抱きながらも、おおらかに生活をしているのが、田舎の
人々の姿ではないかと、私には思えるのです。    (住職・筆工)

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